【公演レポート】センチュリー豊中名曲シリーズVol.30「美しい足跡」

【公演レポート】センチュリー豊中名曲シリーズVol.30「美しい足跡」

2024年07月09日

文筆家・評論家・音楽ファンなどそれぞれの視点から、主催公演を実際に鑑賞して記されたレポートをWEB上で共有するコーナー。2024年度のセンチュリー豊中名曲シリーズ初回となった公演「美しい足跡」のレポートが、音楽ライターの逢坂聖也さんから寄せられました。

                  ―2024.6.9(日) 15:00開演 豊中市立文化芸術センター 大ホール

撮影 飯島隆

 音楽と物語のコラボレーションで贈るセンチュリー豊中名曲シリーズ。現在のかたちとなって3年目を迎えるVol.30 が「美しい足跡」と題して6月9日に行われた。指揮に豊中市出身の出口大地を迎える、オール・ドヴォルザーク・プログラムである。

 序曲『謝肉祭』から音にまぶしいような輝きが溢れる。それは30代半ばという出口の年齢とも無関係ではないだろう。彼の情熱的な指揮は、すでに第8番までの交響曲を書き上げ、国際的な名声のうちに祖国ボヘミアの響きへと立ち帰ったドヴォルザークの喜びをまっすぐに伝えてくる。その響きはまさに“鉦(かね)や太鼓”の楽しさ(とりわけトライアングルの音色が印象的)で、新緑の季節に聴くにふさわしい、自然の香りを感じさせるものだった。

 ドヴォルザークという作曲家もまた、私にとってある種の青春の瑞々しさを思わせる存在である。彼自身は62歳まで生きた、チェコを代表する国民楽派の大家であるにも関わらず。それは1つにはブラームスをも感嘆させたメロディ作りの才能によるものでもあるだろう。しかしより大きな理由は、やはり彼が生涯を通じて音楽の中に汲み続けた、無垢なまでの故郷への憧憬である。彼の音楽は初期から中期にかけては沸騰するチェコの民族意識を背景に、ボヘミアからさらに東のモラヴィア、ハンガリーといった世界を望む汎スラブとでもいうような峻険な表情を湛えている。熱い血のたぎりを秘めたその音楽は、50歳に差し掛かる頃から弧を描くように祖国ボヘミアの風景へと回帰してゆく。今回演奏された序曲『謝肉祭』、交響曲第8番は、こうした時期の作品である。彼の管弦楽はこの後、2年のアメリカ体験を経て、交響曲第9番『新世界より』、チェロ協奏曲ロ短調、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」といった作品へと結実する。そこでは黒人霊歌や民謡など新大陸の音楽に祖国のそれと似た響きを見出した彼の喜びが円熟の書法で表現され、作品を不朽の高みへと押し上げている。私はこれらを聴くたびに、いつもこの作曲家のイノセンスに胸が熱くなる思いがする。

 2曲目のヴァイオリン協奏曲では独奏の岡本誠司が光った。スラブ情緒が滲む第1楽章冒頭からその音色は熱度を湛え、情感豊かにメロディを歌う。次々と繰り出されるその響きを受け止めながら、出口とセンチュリーもまた多彩な表情で答える。岡本の深い呼吸と疾走するような出口&センチュリーの対比が見事だ。高揚したフィナーレのあと、2人は抱き合うようにして互いの健闘を称えた。ソリスト・アンコールはバッハ、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第3番から「ラルゴ」。温かな余韻が会場を包んだ。

撮影 飯島隆

 後半は交響曲第8番。第1楽章は郷愁を含んだ導入部から一転、フルートの独奏に続いて沸き立つような響きが続く。ボヘミアの田園風景を思わせる第2楽章を経て、哀調を帯びた舞曲風の第3楽章では踊るような出口の指揮が印象的。そして輝かしいトランペットのファンファーレで始まる第4楽章はティンパニの短いソロのあとチェロに現れる主題が変奏されながら熱を帯び、スケールの大きな終結部へと向かう。わずかに静まった響きに続いて、出口とセンチュリーは一気呵成に熱狂的なフィナーレを導いた。若さと才気に満ちた魅力的な8番だった。それはまた出口がこの年齢だから成し得る、一期一会のドヴォルザークであったかも知れない。

撮影 飯島隆

 今回のコンサートに劇団幻灯劇場の藤井颯太郎氏が寄せた物語は“残置物撤去”のアルバイト、名波が、遺品整理に訪れた館で生きている不思議な足跡と出会うという出来事を描いている。依頼主は5日後の自分の死を予言する老人。そして足跡は行方不明となった老人の娘のものであることがわかって来る。名波と心を通わせたかのようなわずかな時間のあと、足跡はどこかへ消え去ってしまう。

 こうした物語を音楽に近い場所で読むと、やはり足跡は「作品」あるいは音楽そのもののように感じられる。もちろんそれはどのように読まれても良いものだが、今日聴いた出口大地の指揮が心に残るものであっただけに私には物語自体が音楽の比喩のように思えてならなかった。ただ1度の演奏を演奏家がどのように行ったか。それを表すものが「足跡」であり、私たちはすでに実体が失われ、記憶ばかりとなったその「足跡」と繰り返し対話を重ねるのではないかと。

 絵画や彫刻といった空間芸術ではなく、時間芸術である音楽はよりそうした色合いが強い。ならば私たちと「足跡」が重ねる対話とは何だろう。演奏により、聴く人により千差万別と言ってしまえばそれまでのことである。しかしそれは限りなく濃密なものであるはずだ。「足跡」と対話を重ねることによって、おそらく私たちは人生のまだ気づかなかった部分に出会うことができる。それはコンサートなどわずか2時間余りの音楽体験が、時に私たちの人生の質を変える可能性を持つことを示している。

 開演前にホワイエで行われた「声の展示」は「足跡」を作る靴を小道具に用いて行われた。これまでと比べ動きが大きく、より演劇的な要素を多く含んだパフォーマンスとなっていたように思う。今年度の年間テーマは「歩み」であるという。「美しい足跡」によって第1歩を示したこの企画がこれからどんな音楽を届けてくれるのかを、楽しみに待ちたい。

撮影 飯島隆

逢坂聖也
音楽ライター。大学卒業後、情報誌『ぴあ』へ入社。映画を皮切りに各種記事を担当する。現在はフリーランス
としてクラシック音楽を中心に音楽誌や情報サイト、ホールの会報誌などへの執筆を行っている。豊中市在住。

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