【公演レポート】センチュリー豊中名曲シリーズVol.28「ゆるやかな片鱗」

【公演レポート】センチュリー豊中名曲シリーズVol.28「ゆるやかな片鱗」

2024年01月19日

文筆家・評論家・音楽ファンなどそれぞれの視点から、主催公演を実際に鑑賞して記されたレポートをWEB上で共有するコーナー。音楽ライターの逢坂聖也さんより、センチュリー豊中名曲シリーズ今年度の第3回目「ゆるやかな片鱗」のレポートが寄せられました。

                  ―2023.12.9(土) 15:00開演 豊中市立文化芸術センター 大ホール

撮影 飯島隆

 ロベルト・シューマンとヨハネス・ブラームス。19世紀の半ばを生きた2人の作曲家は23歳違いの師弟でもあった。だが作風においても生き方においても“ロマン派の作曲家”を体現したかのようなシューマンに対し、ブラームスは周到に距離を置くことで自らの音楽を大成させていったようなところがある。そして2人の間には常にピアニスト、クララ・シューマンの存在があった。彼らの微妙な位置関係は、クラシック音楽の歴史の中の1つの謎と言えるかもしれない。

撮影 飯島隆

 12月9日に行われたセンチュリー豊中名曲シリーズVol.28は『ゆるやかな片鱗』と題し、このシューマンとブラームスの代表的な作品を演奏した。前半に置かれたのがシューマンのピアノ協奏曲である。指揮に山形交響楽団常任指揮者、びわ湖ホール芸術監督の阪哲朗、ソリストに実力・人気共に日本を代表する菊池洋子を迎えた。オーケストラの一閃に続いて、崩れ落ちるようなピアノの響きから、シューマンならではのロマンティックな情緒が溢れ出す。次いで木管楽器を中心に現れるこの曲の主題(それはクララになぞらえた音名CHAA-ドシララ-の主題である)、その音の溶け合うさまが美しい。作品はこの主題の変形を散りばめるように展開するが、全体を通して木管楽器の透明な響きは強く心に残るものだった。また菊池洋子の独奏は音楽を力強く牽引するダイナミズムとともに、オーケストラと調和し作品全体の美しさに奉仕する求心性を併せ持ち、随所に魅力的な表現を聴かせた。作曲者の移ろう心情に寄り添うかのような第2楽章、そしてのびやかな高揚感に満たされた第3楽章まで、心地よい緊張感に包まれた演奏だった。アンコールに菊池はブラームスの『子守歌』を演奏。ホールに温かい余韻を残した。

撮影 飯島隆

 後半はブラームスの交響曲第1番。『ドイツ・レクイエム』ほかの作品により、すでに作曲家として高く評価されていた彼が43歳で発表した交響曲である。ティンパニがドの音を打ち続ける印象的な序奏は、この作品の最後に加えられたもの。ベートーヴェンの第5番『運命』と同じハ短調という調性を取り、その精神を継ごうとする気概を示しているかのようだ。阪の指揮はこの序奏部分の音価を十分に保ちつつ主部ではきびきびとした速めのテンポ。細かなモチーフを積み上げたような第1楽章を堅牢な響きで進めてゆく。センチュリーもまたゲストコンサートマスターの山本友重のもと統率が行き届き、改めてアンサンブルの巧さを印象付ける演奏。弦が美しく揃い重厚な音色でホールを満たした。また第2楽章のファゴット、オーボエ。第3楽章冒頭のクラリネットなど、木管の美しさはここでも健在で、次々と場面が移り変わるような表情豊かな音楽が展開されていく。そして第4楽章。作品冒頭へ回帰したかのようなティンパニの響きのあとに表れるのが、ホルンを主体に奏される「クララへの呼びかけ」だ。それが静まるとこれまでの葛藤を乗り越えたように印象的な第1主題が現れる。阪とセンチュリーは力強くこの主題を響かせ、熱気に満ちたフィナーレへと音楽を導いた。名曲を優れた演奏で聴くことの喜びに溢れた時間だった。

 今年度、豊中名曲シリーズでは作曲家・坂東祐大氏によるギター協奏曲の世界初演、また豊中市にゆかりの2人の演奏家、延原武春、小栗まち絵の各氏を迎えてのオール・メンデルスゾーン・プログラムといった企画性の強いプログラムが続いた。こうした中にあって、シューマンとブラームスの作品を前後に置いた内容は比較的シンプルな「名曲プログラム」と映るかも知れない。しかし今回は2人の作曲家の音楽史上の足跡、運命的とも言える出会いと友情、そして冒頭に述べたクララを巡る関係など多くの情報量が込められた、多面的な魅力を持ったコンサートであったように思う。

関連企画「シューマンとブラームスの絆」(2023.10.17開催)
こちらからダイジェスト映像がご覧いただけます

 その意味で、10月17日に関連企画として行われた『シューマンとブラームスの絆』と題するトークイベントは興味深いものだった。当日の指揮者、阪哲朗が録画で参加。日本センチュリー交響楽団から首席オーボエ奏者の宮本克江、チェロ奏者の末永真理を迎え、豊中市立文化芸術センター総合館長の小味渕彦之氏を聞き手に実際の演奏家から見たシューマンとブラームスの音楽(作品の印象や演奏の難しさなど)が紐解かれていった。話題は多くのロマン派の作曲家と踵を接するように生きた2人の人生にも及び、登壇者それぞれが思う、彼らにとってのクララの存在なども語られた。もとよりコンサートは音楽だけで成立するものではあるけれど、その背景を押さえておくことは決して無意味ではない。音楽をより楽しむための一助として、こうした関連企画の充実は強調しておきたい。

 そして今回、『ゆるやかな片鱗』というタイトルのもと公演プログラムほかに掲載された藤井颯太郎氏の物語は、どこか終末の予感を漂わせる世界の中で、ありふれた日常を生きる家族3人の姿を描いている。「あと1か月」という言葉が何を意味するのかは読者の想像に任されているようだ。実はコンサートを聴き終えるまで、この少しSF仕立ての物語が私には今一つ、ピンとこなかった。ピンとこなければいけないというものでもないし、またなぜピンとこなかったのかという説明ができるわけでもないのだが、とにかくうまくイメージできなかったのだ。ところがコンサートが終わりプログラムノートに目を落とした時に、それまでぼんやりと眺めていたこのタイトルがある種の詩のような美しさを伴って飛び込んできた。それと同時にようやく私には少し物語の中の風景が見えてきた気がしたのである。その私なりに見たものをここに述べる気はないし、理解は読んだ人の数だけあって良いと思う。ただ私が思ったのはシューマンやブラームスが人生の最後に見たものが、美しい夕日のような風景であれば良かっただろうな、ということだ。特にシューマンには。

ホワイエでの「声の展示」

 コンサートの開始前、ホワイエでは劇団・幻灯劇場の2人の役者により『ゆるやかな片鱗』の朗読が行われた。朗読者の声に加え物語の中の「音」を強調した演出に、耳と目を凝らす人の姿が見られた。「声の展示」として2年前から続けられてきたこの試みは、今年2月、発展した形で1つのパフォーマンス的な作品として結実すると聞く。センチュリーからの弦楽カルテットも参加するというその公演を、注目しながら待ちたいと思う。

逢坂聖也
音楽ライター。大学卒業後、情報誌『ぴあ』へ入社。映画を皮切りに各種記事を担当する。現在はフリーランス
としてクラシック音楽を中心に音楽誌や情報サイト、ホールの会報誌などへの執筆を行っている。豊中市在住。

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