【公演レポート】東川内梨沙ピアノリサイタル

【公演レポート】東川内梨沙ピアノリサイタル

2023年03月28日

文筆家・評論家・音楽ファンなどそれぞれの視点から、当館主催公演を実際に鑑賞して記されたレポートをWEB上で共有する企画。今回は、とよなかARTSワゴンアーティストバンク登録アーティストで、レジデントアーティストの先輩でもあるピアニスト新崎洋実さんより、「東川内梨沙ピアノリサイタル」のレポートが寄せられました。

                  ―2023.2.24(金) 19:00開演 豊中市立文化芸術センター 小ホール

Photo by Tonko Takahashi

 2019年に始動した豊中市立文化芸術センターの『とよなかARTSワゴン』は、様々な研修プログラムを通して豊中を代表するアーティストとコーディネーターを育成する事業である。そのレジデントアーティスト2期生として、2020年から3年間活動してきたピアニスト東川内梨沙の、一集大成であるリサイタルを聴いた。

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 最初に演奏されたのは、ラヴェルの〈道化師の朝の歌〉。淡い白色ベースのふわりとしたドレスを纏った東川内梨沙が、会場の拍手に柔らかな笑顔で応え、静かにピアノの前に座りゆっくり鍵盤に手を添えたかと思うと、弾力のあるスタッカートで演奏が始まった。組曲《鏡》の第4曲にあたるこの作品はコンサートピースとして取り上げられることも多く、技巧をみせるような早急なテンポで演奏するピアニストも多いが、東川内は1音1音を鮮やかに、地を踏み鳴らすようなテンポ感で、ラヴェルが描いたスペインの情緒を華やかに表現してみせた。
 続いて演奏したのは「本のページをめくっていくような作品」と紹介した、シューマンの《子供の情景op.15》。13の各小品の特徴をよく捉えながら、それらを束ねた1つの大きな作品として極めて集中力の高い演奏を聴かせた。特に、行き届いた解釈と自然な音色で紡がれる、シューマン独特のフレージングや洗練されたメロディーラインが非常に印象的であった。個人的に少しダンパーペダルによる響きがトゥーマッチに感じる部分もあったが、繊細かつ巧みなペダリングと柔軟性のある打鍵によって、多彩な音色を生み出し作品全体がコントロールされていて、じっくりと1冊の短編小説を朗読しているかのような奥行きのある音楽の時間だった。

Photo by Tonko Takahashi

 前半最後に演奏されたリストの超絶技巧練習曲 第10番ヘ短調は「レジデントアーティストのオーディションを受ける際に演奏した思い出深い1曲」と語る。以前、小学校へ出向いて音楽を届ける彼女のアウトリーチを見学したことがあるが、その時のプログラムにも取り入れていた作品で、彼女のピアニスティックな面が存分に発揮されるレパートリーのひとつである。超絶技巧を超えたドラマティックな演奏の中で、大胆に表現されるアクセントと休符が観客を惹き込み、力強く締めくくった。

Photo by Tonko Takahashi

 後半は、ブラームスのピアノ四重奏曲 第1番op.25。黒色ベースの華やかなAラインドレスに衣替えをし、ゲスト出演のヴァイオリン坂茉莉江、ヴィオラ飯田隆、チェロ渡邉弾楽らと共に登場。すっかりピアノの音に馴染んだホールに響く弦楽器の音は新鮮で、観客の耳もそれに合わせて変わっていくのが感じられた。
 第1楽章は、ピアノに始まりチェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンとテーマが受け継がれ、不安定に彷徨う音楽が、良い緊張感を保ったアンサンブルで紡がれていく。特に弦楽器のユニゾンが秀逸だった。第2楽章の冒頭、チェロの静かな連打から弦楽アンサンブルが始まり、そこに溶け込むようにピアノが加わる。密やかにも存在感のあるピアノと、複雑に絡み合う弦楽器との巧みなアンサンブルが、ブラームスらしい内に秘めたうごめく感情をうまく捉えていた。
 第3楽章、牧歌的で朗々とした主題が、これまでうごめいていたものから解放されていくような伸びのあるアンサンブルで歌われる。行進曲調の場面ではさらにアンサンブルの密着度が増し、ダイナミックで生き生きとした音楽が観客を惹き込んでいく。そして情熱的なロンドで書かれた最終楽章、4人のエネルギーがほとばしる。終盤、ピアノと弦楽器で呼応し合うようなカデンツァを経て、再び冒頭のテーマが戻ってくるとさらに劇的に加速し、圧巻のフィナーレを迎えた。
 やまない拍手に応えて再び東川内が登場すると、アンコールに 《ロンドンデリーの歌》をたっぷりとロマンティックにピアノで歌い上げ、リサイタルは幕を閉じた。

Photo by Tonko Takahashi

 改めて今回のリサイタルを振り返ると、彼女の長きにわたるザルツブルクでの音楽経験の重みが、ひしと伝わってくるプログラムだった。ドイツで活躍したロマン派の作曲家の作品を大きな軸としつつ、ラヴェルや室内楽の作品をプログラムに配置することで、巨匠ジャック・ルヴィエ氏をはじめとする、これまでの師と重ねてきた研鑽を演奏に昇華させているのだと感じた。
 そして彼女の魅力は、作曲家が残した楽譜に忠誠心を持って向き合い、演奏家として等身大であろうとするその姿勢だ。それがどんな場面や環境においても変わらず彼女の中の一つの軸として、レジデントアーティストの活動に反映させていることは最大の強みであり、そこに聴く人や関わる人を惹きつけるパワーがある。
 あえて書き加えるならば、今回ピアノ四重奏をプログラムに取り入れた、彼女なりの想いや意図をもう少し見ることができたら、より良かったのではないかと思う。むろん、演奏そのもので魅了したことには明快であるが、なぜ自身のリサイタルで室内楽をするのか、なぜ共演者が彼らでなくてはならなかったのか…。言葉や文字など+αの伝達表現を置くことでプログラム全体に深みが増し、より聴く人の耳や心を開き、彼女が表現する音楽の世界に没入するエッセンスになるのではないか、と思える。

 ともあれ、演奏を主とするアーティストの考えやアプローチの仕方も十人十色であるし、 様々な研修プログラムや活動を経てきたレジデントアーティスト各々の個性や表現が滲み出てくることこそが、この活動の意義のひとつなのかもしれないと、筆者も同じステージに立った1年前のリサイタルを振り返りつつ演奏を聴く時間は刺激的だった。「レジデントアーティストとしては最後だが、引き続き豊中で活動していきたい」と語った東川内は、4月から『とよなかARTSワゴン』登録アーティストとして在籍する。公共ホールに様々な個性を持ったアーティストがいるのだと、さらにいろんな方々に注目される活動を展開していけるよう、筆者も彼女と同じく決意を新たにした。

Photo by Tonko Takahashi


文・新崎洋実
ピアニスト。とよなかARTSワゴン登録アーティスト。ホール公演のほか、全国各地の学校や福祉施設への出前授業、創作ダンスや影絵⾳楽劇など他ジャンルとの共演も⾏っている。ピアノデュオ新崎姉妹としても活動中。帝塚⼭⼤学教育学部⾮常勤講師。

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